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泉州岡田宮本やぐら秋祭り
陸・宮本の歴史
 
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陸区と歴史

陸区について
里外神社の宮本
やぐら曳行の中止
やぐら復活
再びの危機
反省にたち
女性の活躍
今後の発展に向け
やぐら保存会存在意義

陸区について
 陸区について少し説明すると、地名には陸(くが)という名称はありません。泉南市岡田に位置し、陸区として市内唯一の法人格をもった地区になります。泉南市岡田は陸側の岡田(陸)と浦側(海側)の岡田(浦)とからなっており、当地区は上岡田側の陸区となります。浦側の下岡田(西出、中出、北出、氏の松、渚、大浜)は岡田区になります。また西信達地区は北野区、中小路区、岡田区、陸区の4区からなり、秋祭りには宮本(陸区)、西組・中組・北組(岡田区)の4台のやぐらは里外神社へ宮入し、北野(北野区)は大苗代(信達地区大苗代区)とともに一丘神社へ宮入します。なお、中小路区は現在やぐらを所有していません。
 
里外神社の宮本
 陸区は西信達における信仰の中心となる里外神社の宮本になります。文字どうり里外神社の足下にある陸に往古から宮本を名乗ることを許された名誉ある名称であります。その里外神社の御祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)で、古名は呉服(くれは)大明神と称せられ仁徳天皇の代に創立され倭衣織(しとりべ)の守護神として尊崇されたことは明らかであります。霊剣を御神体として素盞嗚尊を御祭神とし合祀は大年命(おおとしのみこと)、蛭子命(ひるごのみこと)であり五穀豊穣、商業鎮護の大神として近郷に古来から深い信仰があります。その厚い信仰の元に五穀豊穣を祈願する祭りとして秋祭り(やぐらまつり)が実施されています。その大祭である秋祭りに常に最初に宮入をするのが宮本のやぐらであり我々は宮本の名称を名乗るやぐらとして誇りをもって祭りを実施しています。
里外神社
 
やぐら曳行の中止
 当地区においても、昭和36年頃までは当時の青年団を中心とし、「秋祭り」が毎年実施され「やぐら曳行」がなされておりました。しかしながら、その当時は青年団がやぐら曳行の一切を執り行なう形で実施されていた為、区や区民との連携がとれず、いつしか祭り離れが進行し青年団も解散「やぐら曳行」も中止せざるを得なくなり、14年の間宮本の若者はやむ無く他区の曳行に参加してしのいでおりました。


やぐら復活
 昭和51年、陸区に住む「若い者」と呼ばれる世代が中心となってやぐら曳行の復活を目的とした若手の住民団体「陸親睦会」が結成され、当時の区長にやぐら復活を懇願したのです。そして区長、役員、陸親睦会がやぐら復活に向けやぐら修復に尽力し、その年の昭和51年10月には15年ぶりに秋祭り「やぐら曳行」が復活。その曳行は大いに盛り上がり手に手に姫提灯を持ち多数の区民がにぎやかに参加しました。その後、村のおばあさんたちは孫たちがやぐらを曳いているのに、「わてらも負けてられん、やぐらを曳く!」と着物に赤の長じゅばんにたすきがけ、手には姫提灯を持ち、やぐらの音頭をとり「こら!しっかり曳けよ〜!」と囃したて復活を喜んでくれました。「陸では、ばあさんがやぐらを曳いてる」と聞きつけた岡田のおばあさんたちも駆け付け参加した程です。区民がどれほどやぐら復活を待ち望んでいたか物語るエピソードです。

おばあさんをもっと見る
 
 
再びの危機
 復活3年後のこと、近隣市町村のやぐら曳行で大事故が頻発したことがあります。当区では事故はなかったのですが、もし事故が起こった場合の補償をどうするかという問題を懸念した当時の村役さん達が協議でやぐら曳行を中止すると決定しました。当区は所帯数も200軒に満たない小さな村で大事故の補償の負担は計り知れないということでした。この中止の決定は村中を大揺れに揺らしました。そのとき陸親睦会に入会したての5人の高校生が村中を毎夜遅くまで一軒一軒まわり曳行中止反対の署名をもらい区に提出したのです。その功あってか、あらためて区から区民に念書をお願いし署名する数が多ければ曳行を継続するということになりました。結果は圧倒的多数の念書署名がありやぐら曳行は今に続いております。


 
反省にたち
 以前のやぐら曳行中止や曳行の危機の反省にたち、秋まつりを一部の人々だけの参加に終わってはいけない、安全でかつ子供からお年よりまで男女が共に集う区民全体の行事とするために「宮本やぐら保存会」を結成、陸親睦会を「宮本青年団」に引継ぎ、さらに「宮本若頭」、「宮本参拾人組」、「宮本少年団」を結成し各世代に渡り秋祭りに参加できるように組織を整えてきました。老若男女が参加する陸区のやぐら曳行の象徴は泉南市立西信達幼稚園の園児による曳行から開始となり、祭り最終日にはシニアタイムを設け、お年寄り達を招待しその前で「昔の若者」がかつてとった杵づかでやぐらを曳行し宮本独特の音頭、囃子を青年団、少年団に継承しております。
少年団
 
女性の活躍
 また、やぐら曳行のバックアップとして女性の活躍は無くてはならない存在となっており、祭り当日の炊き出しや食事の準備を行って頂いております。それには各世代の女性の方々が携わり、その中で世代間のコミュニケーションをとったり、ご老齢のご婦人方が若い青年団の祭りに対する情熱を感じる場となっています。このような炊き出し、コミュニケーション等はもしも地区に災害を受けた場合には何よりの災害への準備として力を発揮するものと思われます。
女性方の炊き出し
 

今後の発展に向け
 秋祭りにおける「やぐら曳行」は、地域の活性化に寄与するとともに、地域住民の交流を中心とする地域コミュニティのシンボリック的な存在として、やぐら曳行の復活以降地域住民が積極的に参加できる行事となっております。しかし現存するやぐらは明治26年築造で、大正5年に岡田区の西出地区より購入されたものであり、100年以上の年月が経過しています。毎年、必要箇所を修理しながら平成3年には地区皆様の御浄財により平成の大修理を行いその姿を一新するやぐらと生まれ変わりました。しかしながら今後100年の未来を考えるとこの宮本の良き伝統を次世代に受け渡す為には次代のやぐらが必要であります。未来への伝統、文化の継承はもとより地区住民のコミュニティ活性化の醸成を今後さらに発展をするためには秋祭り、やぐらは必要不可欠なものと考えます。
 

やぐら保存会の存在意義
 今後の地区の老齢化社会への対応として世代を超えて繋がりをもつことは必要であり、しっかりとした地域コミュニティが構築できることから「やぐら曳行」とともに「宮本やぐら保存会」の存在は非常に大きなものといえます。この小さな区でやぐら曳行を継続する為には保存会がまとまり今後もやぐら曳行の中心的存在にならなければなりません。

 
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